あるある大津近江!ふるさと再発見
2020年10月
2020.10.16
大津の歌枕(その2)
●志賀 琵琶湖西南岸、南志賀地方。西に比叡山を望む。三井寺・日吉大社など多数の寺社があり、都からの参拝で賑わった。「志賀の都」は大津京を指す。桜の花園があり、よく歌に詠まれた。
〽楽浪の志賀の大わだ淀むとも
昔の人にまたも逢はめやも
(柿本人麻呂「万葉集」)
〽明日よりは志賀の花園まれにだに
誰かはとはむ春のふるさと
(藤原良経「新古今集」)
●瀬田 大津市瀬田。この地で琵琶湖に架かる橋は「瀬田の長橋」「瀬田の唐橋」と呼ばれた。交通の要衝で、古来たびたび戦乱の舞台となった。
〽望月の駒ひきわたす音すなり
瀬田の長道橋もとどろに(平兼盛)
●田上(たなかみ) 大津市田上町。田上山は、奈良時代、宮殿の建築用材の産出地であった。また瀬田川に合流する田上川は網代(あじろ)の名所。
〽月影の田上川にきよければ網代に
氷魚(ひを)のよるもみえけり
(清原元輔「拾遺集」)
●長等山(ながらやま) 大津市。山麓に三井寺がある。桜の名所。助詞「ながら」と掛詞になることが多い。
〽さざ波や志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな
(読人不知「千載集」)
●鳰の海 現代仮名遣いでは「におのうみ」。琵琶湖の古称。鳰はカイツブリのこと。
〽鳰の海や霞のうちにこぐ船の
まほにも春のけしきなるかな
(式子内親王「新勅撰集」)
●比叡山 京都市と大津市の境を南北に連なる山。叡山とも。
天台宗総本山延暦寺がある。延暦年間、最澄がこの山に一乗止観院を建立したのがその始まりであった。
〽大比叡(おほひえ)やをひえの山も秋くれば
遠目も見えず霧のまがきに
(曾禰好忠)
2020.10.15
大津の歌枕(その1)
●粟津(あはづ) 膳所(ぜぜ)から瀬田橋付近。東国へ向かう交通の要地。
〽関越えて粟津の杜のあはずとも
清水に見えし影を忘るな
(読人不知「後撰集」)
・近江八景・粟津の晴嵐/平家物語(巻9・木曽最後の場面)
●石山 観音信仰で名高い石山寺がある。
〽都にも人や待つらん石山の
峰にのこれる秋の夜の月
(藤原長能「新古今集」)
・石山寺/近江八景・石山の秋月/紫式部・源氏物語
●打出(うちで)の浜 大津市松本・馬場(ばんば)あたりの浜の古名。
〽近江なる打出の浜のうちいでつつ
恨みやせまし人の心を
(読人不知「拾遺集」)
・常夜灯/急がば回れの矢橋の船が着くところ
●逢坂(あふさか) 現代仮名遣いでは「おうさか」となる。相坂・合坂などとも書く。
山城・近江国境の峠道。畿内の北限とされ、関が設けられていた。ここを越えれば東国であった。
〽これやこの行くも帰るも別れつつ
知るも知らぬも相坂の関
(蝉丸「後撰集」)
〽夜をこめて鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
(清少納言「後拾遺集」)
〽名にし負(お)はば逢坂山のさねかづら
人に知られでくるよしもがな(三条右大臣「後撰集」)
●近江(あふみ) 旧国名。淡水湖を意味する淡海(あはうみ→あふみ)に由来。
「逢ふ」「逢ふ身」と掛詞になる。
〽けふ別れあすはあふみと思へども
夜やふけぬらん袖のつゆけき
(紀利貞「古今集」)
〽たつぷりと真水を抱きてしづもれる
昏き器を近江と言へり
(河野裕子)
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